いよいよ恒例のMac World Expo 2008が15日(現地時間)に開催される。
今年は、MacBook Airなるものが出るという噂で持ちきりだが、去年のMacWorld Expoでは、iPhoneが発表された。
iPhoneが発表されて早1年。残念ながらガラパゴス日本では、いまだにiPhoneが登場していないが、Wired誌の"The Untold Story: How the iPhone Blew Up the Wireless Industry"には、iPhone誕生秘話が掲載されている。
これを読むと、iPhoneがいかにAppleにとっても壮大な計画であったかが分かって興味深い。
そして、iPhoneがもたらしたものは、最終的にはケータイビジネスの再編だったことも理解できる。
以下は、B3 Annex抄訳で、記事の要点を時系列で紹介したい。
■ケータイ参入でiPodの利益を守れ
記事によると、Jobsは初代のiPodを発売してほどなく(2002年ごろ)、ケータイを開発することを考えていたという。
ケータイがさらに多機能化すると、やがて音楽再生プレーヤーの機能を持つことは必然となり、その時点で、iPodを脅かす存在となってしまう。
つまり、iPodという新しい製品群の利益を守るには、最終的には、ケータイの世界に足を踏み入れるしかないとわかっていたのだ。
"To protect his new product line, Jobs knew he would eventually need to venture into the wireless world."
一方で、ケータイ参入のアイディアが明白であると同時に、参入障壁も明らかだった。
- 当時、ネットワークは遅く、本格的携帯ネット端末には準備が整っていない
- iPodのOSでは複雑なネットワーキングやグラフィックが扱えないため、全面的に新しいOSを作る必要があった。
- 予想される激しい競争。2003年当時、電話とPDAとメール機能を融合したPalm Treo 600が人気だった。
- そして、キャリアの存在。
■ROKR モトローラとの協業での手痛い失敗 (ROKRは2005年9月発表)
2004年の夏、Jobsは、キャリアではなく、メーカのモトローラにアプローチした。
Appleは、ケータイ版のiTunesの開発に集中し、携帯電話の細かいディテールについては、メーカのモトローラが、キャリアのCingularと詰めればいい、と割り切っていた。
Jobsの目算としては、モトローラがRAZRのようなヒット端末を開発してくれると踏んでいた。
(もちろん、それが実現しないことは後でわかる。)
結局、アップル、モトローラ、Cingularの3社は、ほとんどすべてのディテールについて交渉することとなり、どうやって音楽が端末に取り込まれるのか、どれだけの量の音楽を収納できるのか、それぞれの会社名がどう端末に表示されるのか、などについてまで細かく決められた。
こうして2004年末にできたROKRのプロトタイプだが、それは美しくない携帯電話だった。
2005年9月、JobsはROKRを発表。"an iPod shuffle on your phone."とぶち上げたが、Jobs自身は、これが失敗作だとわかっていた。またユーザーもこの電話を嫌った。
結局、ROKRは、これまでのワイヤレス業界の悪しき慣例そのものの産物であり、ユーザーのことは、一番最後にしか考慮されていなかった。
"The ROKR quickly came to represent everything that was wrong with the US wireless industry, the spawn of a mess of conflicting interests for whom the consumer was an afterthought."
■自前のケータイを開発せよ 交渉は難航 1年以上にも
結局、自前でケータイを作るしかない。そう思ったJobsは、ROKRがまだ開発途上の2005年2月に、ニューヨークのホテルで、キャリアのCingular幹部たちに、自らの計画をプレゼンした。
アップルのメッセージは、以下の3つだったという。
- アップルには、本当に革命的な製品を作る技術がある
→すでにタブレットPCのためにタッチスクリーン技術を開発しており、電話向けに転用できる。
→ARM11チップが登場し、電話、コンピュータ、iPodの機能を扱えるほどパワフルになった
- 独占的な契約としたい
- 一方で、MVNO(仮想移動体通信事業者)でアップル自身が「キャリア」になることも準備している。
キャリアの側にも現状のビジネスモデルの限界を感じていた。しかし、どこまで譲歩していいのか。
結局、交渉は1年以上かかった、という。
■キャリアの苦悩
Cingular側もこれまでのように自社の電話網を貴重な資源として扱い、電話機を価値のないコモディティとして見なすこれまでの習慣を改めないといけないと思い至っていた。
もはや携帯電話は、贅沢品ではなく、必需品へと変化を遂げ、新規顧客を捕まえるのではなく、他社から顧客を奪わないと、顧客は増やせない状況になっていた。
安い端末だけで、他社顧客をひきつけるのは、難しい。
(Cinguralの買収により後にAT&TモビリティのCEOになる)Sigman氏のチームは、他社にはない絶対的な魅力を持つ端末を提供したかった。
この大役を任せるのにJobs以上の適任はいない。
Appleは確かに魅力的なパートナー。組めばCingularブランドにもそのセクシーなアピールが加わる。
しかし、どんなキャリアも、Jobsが求めているような自由度とコントロールをメーカに与えたことはなかったのもまた事実。
Sigman氏自身も、自社の幹部や株主に、Jobsから提案にある取引を説得するのは、難しいことはわかっていた。
交渉は、1年以上かかり、Sigman氏は何度も譲歩しすぎなのでないかと懸念していた。
自慢の、そして高価なネットワークをダムパイプ(いわゆる土管)に貶めてしまおうのではないか。
結局、Sigman氏のチームは、譲歩した以上に、iPhoneによるデータトラフィックが増加し、収入増につながることに賭けることにしたのだった。
(一方でAppleは、常識では考えられないレベニューシェアをAT&Tの承諾させていた。AT&TのiPhone顧客からの収入のうち、平均10ドル/月を得ることになっていた。)
■見切り発車で開発開始 2005年11月 総開発費用は1億5000万ドルとも
一方で、Jobsは、交渉が完全にまとまるのを待たずに、2005年の感謝祭のころ(11月下旬=最終的な交渉成立の8か月前)には、エンジニアに、全力で開発にあたるよう指示を出していた。
開発にあたり、まず解決しなければいけない問題。それはOSをどうするかという問題だった。
エンジニアは、すでに携帯電話などの組み込み用の実績のあるLinixを検討したが、Jobsは、他人が書いたOSを採用することを拒否した。
また、iPodのクリックホイールをベースにしたプロトタイプを作成したが、クリックして、電話をかけることしかできなかった。ネットをサーフすることはできなかった。
結局、2006年の初頭には、Intel移行を終えたばかりのOS Xのエンジニアたちは、今度は、iPhone用にOS Xを書き直す作業を開始した。
Apple幹部は、どのOSを使うか、といった議論には慣れていたが、携帯電話特有の以下のような複雑な事柄については、そうではなかった。
- アンテナのデザイン
- 電磁波の問題
- 電話網のシミュレーション
AppleはiPhoneの開発のために、以下を実施したという。
- iPhoneの小さなアンテナが役割を果たすように、ロボット仕掛けのテストルームを数百万ドルをかけて建設。
- 電磁波を大量に発生させていないか、人間の頭型をつかって効果を確認。
- 電話網でのパフォーマンスを予測するのに、1台数百万ドルする周波数シミュレータを10台以上を購入。
- 表面のスクリーンは、iPodの経験があってもデザインに苦労し、結局iPodのようなプラスチックではなく、キズがつかないガラス製となった。
関係者は、iPhoneの開発には、ざっと1億5000万ドル(約165億円)かかったのではないかと推測する。
(訳注:一般的に携帯電話の機種の開発には100億〜150億円かかるといわれている。参考)
■秘密プロジェクト "P2"
iPhoneのプロジェクトは、P2と呼ばれた。これは"Purple2"の略であるという。ちなみに、Purple1は、破棄されたiPod電話を指すらしい。
開発が始まって以降、すべての工程で、Jobsは最高位の秘密保持を要求した。
このため、開発チームは、クパティーノ本社のあちこちにばらばらに点在することとなり、ハードウェアとソフトウェアのチームもばらばらになった。
ハードウェアのエンジニアは、フェイクなソフトウェアがロードされたiPhone回路で開発。また、ソフトウェアエンジニアは、木製の箱に入れられたサーキットボードで作業を進めた。
Apple幹部が、Cingularに出張する必要がある場合は、Infineonという別会社名を使う念の入れようだったという。
その甲斐あって、Jobsが2007年1月のMacWorld ExpoでiPhoneを公表した際、プロジェクトの幹部30人程度だけが、実物を事前に見ていた、という。
■2006年秋から冬 iPhone最初のプロトタイプ
記事の冒頭では、恒例のMacWorld Expoまであと数か月という2006年晩秋に、社内でのiPhoneのデモ行かない様子を描いている。
デモがうまくいかないのを見取って、Jobsは"We don't have a product yet."(まだ製品には程遠いな)と、いつもとは違った静かなトーンで言ったという。
烈火のごとく怒るJobsを見慣れた社員たちは、この静かなトーンのJobsにかえって恐怖を感じたという。
MacWorldまでの3か月はiPhoneのエンジニアにとってキャリア史上最もストレスフルな3か月だった。
そして、MacWorldまであと数週間という時点で、AT&Tのスーツ族に見せられるプロトタイプが完成した。
2006年12月中旬、Jobsは、AT&T MobilityのStan Sigman CEOにラスベガスのフォーシーズンホテルの部屋で会った。
iPhoneのプロトタイプを見たSigman氏は、"the best device I have ever seen."といったという。
■2007年6月 iPhone発売
それから約6か月後の2007年6月29日、iPhoneは全米で発売された。
iPhoneは、アップルにとって、もっとも収益性の高い端末といって間違いない。定価399ドルのうち、アップルの利益は80ドルといわれ、さらに、2年間で顧客あたり240ドルが手に入る。
■iPhoneがケータイビジネスにもたらしたもの
iPhoneの登場は、全米の携帯電話の市場構造へ大きな影響を与えている。
数十年にわたり、携帯キャリアは電話機メーカを「農奴」のように扱い、電話網を使わせることと引き換えに、どんな電話が作られるべきか、いくらにするべきか、どんな機能にすべきか、をすべて命令してきた。
電話機は、客をおびき寄せるための安くて使い捨ての「餌」としてとらえられ、最終的にはキャリアのサービスにロックインするためのものだった。
iPhoneはこのキャリアとメーカの力関係を逆転させつつある。キャリアは、いい電話は、高くても顧客を獲得でき、利益を生むことができると学習した。
いまや、各メーカーはAppleのような契約を獲得すべく奔走し、キャリアが承認する電話ではなくユーザーが好む電話を作ろうとしている。
iPhoneは、携帯電話産業のキャリア中心主義を打ち破ったのだ。そのことで、ユーザーやデベロッパ、メーカ、そしてキャリア自身にとっての数々のメリットを解放した。
- T-Mobileとスプリントは、GoogleのAndroid構想にパートナーとして参加。
- Verizonは、ネットワークをすべての端末に開放すると発表。数日後には、AT&Tも同様の発表をおこなった。
一見、キャリアの悪夢が現実化したように見えるかもしれない。iPhoneによって、ユーザーやデベロッパ、メーカが力をつけ、ワイヤレス網は、ただのダムパイプに成り下がる…。しかし、イノベーションを促進することで、キャリアのネットワークはもっと価値を高めることができる。
ユーザーは、端末利用時間は長くなり、結果、ネットワークをよく利用し、より多くの金額を支払うことになり、キャリア以外にとっても収入増を意味する。
以上のように"The Untold Story: How the iPhone Blew Up the Wireless Industry"を見てきたが、つくづくこのうねりがまだ日本に来ていないことを残念に思う。
ただ、ガラパゴス日本であっても、この記事にあるキャリアの置かれている状況はあまり変わりがないのではないか。
その意味で、日本には、Jobsよりも、Jobsの提案を受けて一歩前に出る勇気を示したAT&TのSigman氏のようなトップの存在が今必要とされているのかもしれない。
(Stan Sigman氏は2007年10月にAT&T Mobility CEOを退任している)
iPhone革命は、確実に広がりつつある。しかし、それはビジョナリーを支持するトップたちの存在抜きにはありえないのだ。
The Untold Story: How the iPhone Blew Up the Wireless Industry - Wired


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