ドバイで「ノルウェイの森」を読み返している。
映画になるということで、改めて売り出していて、旅先で読むのにちょうどよいと思ったからだ。 ちょうどよいというのは、筋書きも結末も知っているから、そんなに一字一句注意しなくても読めるだろう、というぐらいの意味だ。しかし、読み始めてみると、あまりに忘れていることだらけで、いったい、僕はこの小説を読んだことがあるのだろうか、と思わずにいられない。ホント、僕は、大学3年生のとき、どんな風に「ノルウェイの森」を読んだのだろうか? きっと、ベストセラーが約束された本として、発売直後に生協の書店でみつけ、あわてて買い、がつがつと読んだのだろう。
同じ生協の書店で、その後出版社に入る一癖ある先輩と、村上春樹のありようについて話し合ったことは覚えている。話し合ったというか、吹っかけられたというのが正解だろう。 あのころは、村上春樹は、それなりに有名だったけど、いまみたいに、「泣く子も黙る」ような存在ではなかった。だから、きっと、先輩に反論したくなったのだと思う。「まったく、春樹ってメジャーだよね」。先輩はそういって、僕を挑発した。僕は「メジャーとか、マイナーとか、そんなことではなくて、こういう小説を求めている人たちがいるってことです」なんて、応えていた。
いま数えてみたら、その生協の会話から23年も経ったのだ。書かれていることを覚えていないのも、案外うなずけるかもしれない。ただ、場面ごとの空気感というか、手触りのようなものはよく覚えている。まるで、小さい頃に遊んだ友達のように、かすかに面影がある、といったように。もちろん、小説は人間と違って、成長しない。するのは、読んでいる人間のほうだ。いや、それとも、小説が成長するということがひょっとしてあるのかもしれない。 *
いま、僕は、エミレーツ航空のスチュワーデスに「大丈夫か」と声をかけられながら、本を閉じたところだ。 機内には、ドバイに到着したことを知らせるアナウンスの後から流れ始めた、どこかのフィルハーモニーによる「ノルウェーの森」がかかっている。


Comments