そこが唯一のタバコが吸える場所だということで、エレベータに乗って、一階上のバーに入った。エレベータの扉が閉まるときに、いかにも寝不足といった若者が入ってきて、これから24時間飛行機の中だ、割高の酒を頼まなくちゃいけないけど、かまうものか、と吐き出すようにいった。
バーは喫煙者であふれていた。いまどき、こんな数の喫煙者なんてみる機会なんてあまりない。
僕は、ドバイ空港で、「ノルウェイの森」の続きを読んでいた。ちょうど、緑が短いスカートを履いてワタナベ君の寮に、日曜の朝にやってくるところだ。もちろん、そんなシーンがあることなんてすっかり忘れていた。(ノルウェイの森で、タイトル以外に覚えていることって僕はあるのだろうか)
誰も知っている人がいない場所というフレーズが、小説に出てきた。まさに、ドバイはそんな場所だった。誰も知っている人がいない街。それでも、ドバイは素敵な場所だった。砂漠ツアーでたまたま一緒になったトルコ人家族も、ブラジルでオレンジジュースの元締めをしているローズマリーさんも、とても素敵な人たちだった。ノブで出会ったロンドンカップルも短い時間だったけど、感じのいい人たちだった。
イーダというイスラムの祝日と重なったせいか、ショッピングモールも遅くまでやっていて、おかげで、ティファニーに寄ることができた。ティファニーにいって物を買ったなんてなんて久しぶりなのだろう。何か、ノルウェイの森を読んでいたせいか、そんなことをしたくなったのだと思う。ノルウェイの森にそんなシーンが出てくるわけではない。(書かれていることを覚えていないから、この後出てくる可能性もあるけど、まあ、ないでしょ)
ただ、そのノルウェイの森が最初に出版されて、生協で先輩から議論をふっかけられたころに、なんとなく憧れていたこと、つまり、ティファニーで買い物をすること、をもう一度してみたくなったのだ。いま思い出したけど、その年のクリスマスに、当時つきあっていた女のコに、ティファニーのペンダントをプレゼントしたっけ。
旅先に持っていく本はとても大切だ。僕にとっては、これで、ドバイとノルウェイの森との新たなつながりができたわけで、しばらくは、「ドバイの森」として僕の中で記憶されるだろう。もちろん、ドバイには森らしき森なんてなく、砂漠しかなかったけど。そんな砂漠で、パームの形をしたプロジェクトが進んでいる。ひとつはできていて、立派な観光地になっているけど、もうひとつパームプロジェクトがあって、グーグルマップでも出てくる。その様子を知りたくて、タクシーを飛ばして、文字通り、砂漠の工事現場を走っていった。いけるところまで走っていた。結局、工事現場の人に、止められて、現場を見ることはできなかったけど。
ドバイの人々は、見栄っ張りだ。きっとそうに決まっている。そうでなかったら、開通していない鉄道の路線図をあたかも開通しているように書かないし、出来てもいない人工島を地図に書かない。せめて、小さく注釈ぐらいはいれるよね?
そろそろ、ボーディングの時間だ。ハイネケンの料金を払って、ゲートに行こう。ありがとう、ドバイの森。おかげで、これからの人生もなんとかやっていけそうだ。